Be Natural

Global Shake 澄直のブログ

澄直の世界 Sunao’s World

 

 

「コレ」が何なのかは分からない。

「コレ」が何なのか知りたかった。

「コレ」を知ることで本当の自分を知れる気がした。

 

 

でも、ずっと分からないままだった。

「コレ」について特に深く追求して調べたりしたことはない。

 

 

私にとっての「コレ」は

幼い頃からずっと

ごく普通のことだったから。

 

 

どうして他の人たちが「コレ」を

不思議に思ったり特別な言い方をするのか

分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

私にはカンジルノニ

多くの他の人たちには感じない。

 

 

私にはミエルノニ

多くの他の人たちには見えない。

 

 

私にはキコエルノニ

多くの他の人たちには聞こえないみたい。  

 

 

だから私にはワカッテモ

多くの他の人たちには分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうしてなのか理由を考えても

どう説明したら良いのか分からなかった。

 

 

どういうことなのか誰かに

尋ねてみるとかいう

考えをも思いつかなかった

 

 

当時10才だった頃の私は

誰かに相談することも出来ず

 

 

「コレ」が今まさに目の前に起きている時に

言葉として伝えられるようなことを

そっくりそのまま母に伝えた。

 

 

その日家にかかってきた

1通の電話の相手の顔と声が

電話のリーンリーンという音と一緒に

叔母(母の姉)の顔と声が

ミエタリキコエタリシタ

 

 

キッチンで食器洗いをして濡れた母の手が

リーンリーンと鳴っている電話の受話器を

手に取る前に私は電話機を指差し

「叔母さんから電話だよ。」と母に教えた。

 

 

母は不思議そうな顔をして、食器洗いをしていて濡れていた手をエプロンで拭きながら電話に出た。

 

 

母は電話を切った後、

「どうして分かったの?キモチワルイ絶対にそんなことを家の外で話してはいけない。ヤメナサイ。」と私に言った。

 

 

この時の「コレ」は叔母の時だけでなく

全く知らない男の人の時もあったり、

2、3回同じ現象があったが

 

 

子供ながらに「コレ」は

いけないことなんだと思った。

 

 

そして「コレ」というのは他にも別の現象?があるので、この時の「コレ」は「コレ」の中のただ一つのお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、私の思いとは裏腹に

「コレ」というのは私の日常には普通に

存在していて

 

 

子供ながらに誰かに伝えても、普通には解ってはもらえないものなのだと理解した。

 

 

ただ「コレ」はこれで「存在」するものなのだと思うようになった。

 

 

そう思わざるを得なかった。

だって目を開けていても、目を閉じていてもミエテしまうし、耳を手で塞いでもキコエテしまうのだから、「コレ」はもう仕方ないのだ。と思ったら子供の私でも納得できた。

 

 

 

 

 

 

 

 

年齢を重ねるほど「コレ」は「コレ」なんだけれども少しずつ違っていている。そしてそれは、今でも続いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

いつか

誰かに知って欲しかった。

誰かに気づいて欲しかった。

 

 

私の「コレ」について

誰かに教えて欲しいと思っていた。

 

 

心のどこかで。

ただ、「コレ」の話は分かる人にだけ

伝えようと思った。

 

 

 

 

 

 

今まで「コレ」と似たような感覚を

持っている人々や

 

 

「コレ」と同じような出来事や物事に

興味のある人々や

 

 

または「コレ」を修得するため?の?

修行やトレーニングやワークを

セミナーを受けたという人々や

 

 

「コレ」に似たようなものに関わる

生業をしていている方々に出会ってきたり

 

 

「コレ」に関して、または似たような

フィールドの内容を書かれている

サイトやブログを多少は読んでみたりもした。

 

 

 

 

 

でも実際の「コレ」が何なのか

感覚を言葉で表現しようとすると

 

 

誰の言っていることの

どれも似ているところもあれば

どこか似ていないところもある。

 

 

どれが本当で何がどうなのか

分かるようで解りきれない。

 

 

ある種の似たもの同士が

同じように感じ集まっている世界があって

でもそこには様々な種類があって

 

 

同じ感覚のもの同士は多少分り合いながら

違う感覚のもの同士として存在していていたり

 

 

交わっているようで交わっていない。

 

 

同じ感覚の人々が「コレ」を

必ずしも同じものとして共有や確証を

し切れないのだけれど

 

 

 

 

 

語り始めれば

あーやっぱりあなたもそうなのね。

そうだと思った。ですよね。と

なんとなくそうだと思ったり

 

 

語らずとも

あなた絶対にそうでしょう。

あなた分かるんでしょ?

なんで分かるんですか?

分かるに決まっているじゃない。

みたいな感覚がほとんど。

 

 

 

 

 

私は確かに、誰かに「コレ」が

何なのかを理解して教えてもらいたかった。

 

 

難しい学術的なことや不思議現象を

理論づけて立証して

解ってくれる人がいたとしても

全部が全部解ってもらえるわけではない。

そういうことではないんだ。って

 

 

 

 

 

いつからか心の中で思うようになった。

 

 

 

 

だって私の求めていたこととは

「コレ」のようでいて本当は

 

 

私の「魂」なんだと

あなたに会って

知ることができた。

 

 

「コレ」とは「私の世界」なんだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

私の本当に求めていた解って欲しい。は

 

特別な知識ではなく

 

特別な力でもなく

 

難しいことを解らなくてもいい

 

無理もしなくていい

 

そのままでいい。

 

 

 

 

 

 

私の「魂」を

 

       そのままの私を

 

               「私の世界」を

 

 

 

 

 

 

ほかの誰でもない 

特別な誰かでなく

たとえ「あなた」が「コレ」がなんなのか

解らなくても

 

 

私にとっての「あなた」は「私の世界」を

そのままの存在として素直に安心して

心地よく一緒に手を繋いでいられる人。

 

 

 

「あなた」というだけで、

私の「魂」は最高に喜び心満たされた。

私は無条件にあなたが良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一瞬でも「あなた」が

「私の世界」を解りたい。

 

一緒にいたいと言ってくれた気持ち

とても嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

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見たことのない幹が真っ白の大きな木

新緑の隙間から差し込む黄金色の光が眩しい

 


幹が真っ白の大きな木の

幹と枝が作り出す部屋のような空間があって

 

 


そこには
シルバーに近い薄栗色のロングストートヘアで

真っ白な服を着た肌が透き通るような

色白の女性が佇んでいる。

 

 


彼女の目からは
真っ白なさらさらした涙が
こぼれ落ちていて

 

 


彼女は彼女の両手を合わせ手のひらを上に向け
滴り落ちる彼女の白い涙の雫を

すくうようにしながら

 

 

 



彼女はその真っ白な部屋の中で

ひとり佇んでいる。

 

 

 

 

 

youtu.be

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Song : 八星